手当たり次第に作った初サンプル
手当たり次第に作った初サンプル
by Erin Lim2019.07.01
「じゃあ君が作ってみたら。自分にぴったりのものを」と、夫が私の気持ちに火をつけたのは、二人の赤ちゃんが生後100日を迎えた頃でした。帰宅する夫をつかまえては、 私の抱っこ紐はあんなだったらいい、こんなだったらいい。構造はこんな風にしたい、生地はこうだったらいい、値段は大体このくらいがいい、と、わくわくしながら喋りつづけました。こうして毎晩想像をめぐらすこと一週間が経った頃、夫が「計画を立てるだけじゃなくて、何か始めてみなよ」と言ってきました。最もな言葉でした。口で言うのは簡単、行動に移すのは難しいですから。(でもその最もな言葉って、いちばん聞きたくな…)
アイデアの構想だけして育児に専念していた時代
育児に専念していたその当時、赤ちゃんが特に手のかかる時期だったので、抱っこ紐の仕事に集中する時間がありませんでした。一日中赤ちゃんにおっぱいを飲ませて、遊んで、掃除して、洗濯して…。赤ちゃんがお昼寝したあとや夜眠りについたあとで時間を割いて、資料を探すことが全てでした。頭の中ではバーッと、工場でガンガンミシンがかけられて、じゃ~ん!すばらしい製品がおしゃれに梱包され、翼が生えたかのように売れていく、非現実的で絵に描いたような想像をしていました。けれど、製品の企画を全くのゼロからスタートさせるのは、手当たり次第の、無謀な試み以外の何ものでもありませんでした。たとえるなら、作ったためしもなければ聞ける人もいないのに、「船を一隻造ってみます!」と宣言したまま、ただボーッと突っ立っている気分。
抱っこ紐の構造と形、生地の混用、カラー、サイズ別仕様、ラッピング、梱包副資材、ブランド名、製品名、撮影…。これらおもなイシューのほかに、KCマーク認証、工場との渉外、物流契約、販売チャンネル契約…。大きなイシューが山積みになっていました。「まだ始まってもいないのに…」そのときから、想像をめぐらしてもわくわくすることができず、つらく感じるだけでした。やらなければならないことがひとつずつ増えていくにつれ、どこかへ逃げ出したくなりました。やることが具体化していくたびに、家事と育児に没頭していました。逃げ場が現実にしかなかったのです。
当時私は育児休暇中で、夫は退職して次のステップに向けて構想中だったのですが、計画をスタートさせもせず、毎日パソコンに向き合い、一息ついたらせっせと家事をする私に向かって、夫が「もう待てないよ。僕がほかに起業したほうが早いんじゃないか」と言ったのです。どこか図星をつかれたようなその言葉に、悔しさと怒りがこみ上げました。私だって、やるときはやるんだから…。初めての事業立ち上げでどうしたらいいのかわからず、家事と育児もいい加減にすることはできない。そう答えると夫は、ベビーシッターを雇おうと言いました。家事と育児に対する負担を減らせば仕事に集中できるはずだ、と。
実のところ、私自身、抱っこ紐の事業を次のキャリアとして見据え、深く悩んだ末に始めたわけでもなく、アイディアもあることだし、とりあえずやってみようかな?程度のものでした。会社の先輩に、ずっとやってみたかった靴の通販サイトを始めたものの、自分は事業には向いていないと職場復帰し、バリバリ働いている女性がいました。私もまさにその程度。負担のない程度に、失敗したらしたでその経験から何かを学んで、また会社生活に戻ってがんばる育児ママ。そんな姿がひょっとしたら私の次のキャリアだと、漠然と考えていました。なぜなら、会社生活をしていく中で、私は常に不満だらけだったのです。どうしてやらなきゃいけないのか。やりたくない仕事を任されるたびに、会社の先輩たちに「じゃああなたが会社を作ってみなさい」と言われ、いつか私が自分の会社を立ち上げたら…?と、漠然と想像していた時期がありました。会社に勤めながらも、常に心のどこかでは、辞めて起業すればいいじゃない!と思っていました。そこで決心したのです。「ダメでもともと。そうすれば、なんの未練もなく会社生活もがんばれる」と。
ほんとうに何もわからない状態でしたが、抱っこ紐を作るにはまず生地が必要だ、と、東大門の生地市場に足を運びました。露台に置かれた生地サンプル(スワッチ)を触ったり、引っ張ったり、お店の人に聞いたりしながら、赤ちゃんを抱えたまま広い生地市場をみてまわりました。「おじさん、これは何の生地ですか?」「何ってこれは、ダイマルジだよ」「ダイマルジって何ですか?」「…(無言)…」基礎的すぎる質問に、返ってくる答えは沈黙のみでした。勉強不足だと思い、初日は焼き魚横丁で食事だけ済ませて帰ってきました。二日目は、もうちょっと下調べしてから行きました。生地スワッチはお店の人に聞けばもらって帰れる。サンプルはヤード単位でカットする…。よさそうな生地スワッチを家に持ち帰り、引っ張ってみたり、ネットで検索したりしながら、生地と加工方法の勉強を始めました。
焼き魚だけ食べて帰ってきた東大門初日
よさそうな生地をいくつか選んでノートに貼り、注文をすれば翌日には受け取れるということも知りました。次は、洋服直しのお店に足を運びました。「おじさん、ここってミシンで服も作ってくれます?」「お客さん、そういうのは貸衣装屋かサンプル室に行ってもらわなきゃ。ここはほつれたところを縫う場所だよ」サンプル室…。家に帰ってすぐにネットで検索しました。ところが、サンプル室に関する情報は、いくら検索しても出てきませんでした。それもそのはず、サンプル室は、一般消費者が行くようなところではないのです。裁縫のコミュニティサイトにコメントを書き込み、あちこちに電話で聞いてまわっていると、ソウルの清渓川周辺に子供服のサンプルを作っている方がいるとの情報が入り、無我夢中で電話をかけました。「私、今赤ちゃんを育ててるんですが、子供服ではないんですが…とにかく抱っこ紐を作りたいんです。デザインは、大体の感じを絵にしてみました。一度お伺いしてもいいですか?」「ええ、いいですよ~」受話器の向こうから優しい声が聞こえると、一本の温かな光が私に射し込んでくるかのようでした。 東大門ではいつも聞き込みだと相手にされなかったので、初めて聞くその優しい声に、涙がこぼれ落ちそうになりました。
清渓川の路地裏にある古いビルの最上階。赤ちゃんを抱えて訪ねたサンプル室。私のように、何かをやってみたいという育児ママ何人かに会ってきたという、サンプル室の先生に聞かれました。「パターンはあります?生地は?」私は答えました。「パターンが何なのかわからないんですが、次回用意してきます。生地も持ってきます」
がむしゃらに方眼紙にパターンを描く
(本来ならこうしちゃいけませんでした…)
(本来ならこうしちゃいけませんでした…)
調べてみると、パターンとは生地をカットする図面のようなものでした。方眼紙を購入し、まずはデザインを描きました。それから、抱っこ紐に使ってみたい生地を7~8種類選んで用意しました。綿100%の生地、機能性ヨガウェア生地、クーリング機能のあるまた別の機能性生地、薄くて見た目軽そうだけれどストレッチの入っていない生地、ストレッチが入った生地…。普通はパターンひとつで服を一着作るのですが、私はパターンひとつで、抱っこ紐を生地のみ変えて7種類作ろうとしていました。すると、サンプル室の先生は驚かれました。仕方ありませんでした。私は経験しながら身につけていくタイプですし、一消費者の立場で自分で実際に使ってみて初めて、よくない部分はどうしてよくないのか、いい部分はどうしていいのか納得できる気がしたのです。
こうして二週間が過ぎていき、ある日サンプル室の先生から一枚の写真が届きました。コニー抱っこ紐の初サンプルでした。
生地をテストするために、種類別に抱っこ紐を作る